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ファットボーイ・スリム( Fatboy Slim )



アルバムリスト
歌手の紹介


ファットボーイ・スリム(Fatboy Slim, 1963年7月13日 - )は、イギリスのクラブDJ/ミュージシャンであるノーマン・クック(Norman Cook)の、複数ある彼の個人活動名義/プロジェクトのひとつである。イギリスをはじめとする世界的音楽シーンを股にかけて活躍するビッグ・ビートの主要アーティストの1人で、イギリスポピュラー音楽(主にテクノ・ハウス方面)の第一人者として音楽活動を行う。

バイオグラフィー

ノーマンはイギリスのブルームリーに生まれ、レッドヒルで育ち、大学時代からはブライトンに移り住んだ。

彼の音楽活動は、1985年、友人ポール・ヒートンの勧誘で、彼の有するバンドであったハウスマーティンズのベーシストを務めることから始まる。彼らは1986年(ノーマン加入からわずか1年)には、アイズレー・ジャスパー・アイズレーの'Caravan of Love'をカヴァーしてUKチャートNo.1を獲得している。しかし、1988年には解散。以後ノーマンはダンス・ミュージックに従事するため、ブライトンに戻って活動を続けることになる。様々な創作・リミックス活動を経て、ビーツ・インターナショナルを結成する。1990年には2度目のUKチャートNo.1となる'Dub Be Good To Me'をリリースするが、その後、妻との離婚による精神的ショックにより、2年間音楽活動から遠ざかることになる。

彼の音楽への情熱を取り戻させた一番の要素は、友人に誘われて行ったクラブで耳にしたロバート・オーウェンズの'I'll Be Your Friend'だった。触発されたノーマンは、トロンボーン奏者であったアシュレイ・スレイターを誘ってフリーク・パワーを結成し、精力的な活動を再開したが、'Turn On, Tune In, Cop Out'のヒットを契機に、徐々に衰退の道を歩むことになった。この頃ノーマンは、種々の活動においてアーティスト名を使い分けていた。Pizzaman, The Mighty Dub Kats, Fried Funk Foodなどがそれである。そしてこのような状況の中、ノーマンは1995年に'Fatboy Slim'を名乗ることになる。

彼のデビュー作は、シングル'Santa Cruz'。(ダミアン・ハリスのレーベル「スキント」の初作品でもあった。)この頃から彼の音楽はロンドン中のクラブでヘヴィー・ローテーションされ始め、1996年夏、ファットボーイ・スリム名義では初のアルバム、'Better Living Through Chemistry'をリリースする。その後も精力的な活動を続け、彼自身が火付け役となったビッグビートムーヴメントの最中リリースされたセカンドアルバムの'You've Come A Long Way, Baby'、その2年後の2000年にはサードアルバム'Halfway Between the Gutter and the Stars'のリリースと、常に音楽シーンをリードし続ける。2004年には4枚目のアルバムとなる'Palookaville'をリリース。

2002年7月13日、地元ブライトン・ビーチでの2度目のコンサートは25万人を集める大成功を収めた。しかし7月16日には25歳のオーストラリア人女性がコンサートの事故が元で死亡。以降、同様のライブは当局により禁止されていたが、2006年の6月にノーマン主催のネス湖でのRockness Festivalを開催し、2007年1月には再び地元のブライトン市民限定で2万人規模のコンサートを行った。また2002年、戸籍上の本名クエンティン・レオ・クック(Quentin Leo Cook)をノーマン・クックに正式に改名している。

2012年8月12日、2012年ロンドンオリンピックの閉会式にてパフォーマンスを行った。ステージ中央に停まったバスの中からタコ型のオブジェとDJブースとともに登場し、自身の楽曲を2曲('Right Here Right Now' 'ロッカフェラー・スカンク'いずれもセカンドアルバムに収録)と、その後登場したジェシー・J、タイニー・テンパー、タイオ・クルーズの歌唱中もDJブース内でパフォーマンスを行った。

私生活では、1999年にテレビ司会者のゾーイ・ボールと結婚し2人の子供を授かるが、2016年に離婚を発表。